身内にたった一人自殺者がいても、残された側は辛い思いを背負いながら生きていくのに、彼女は多くの身内を自殺や事故死で失っている。そして彼女自身も“生きていたくない”という思いをずっと抱えていたのです。
中川 生子さん 50代 女性【広島県】
身内の死が多い
私の名前は「生きる子」と書いてセイコと読みます。 「自分が親を使って、この名前(生子)にしてもらった~自分で決めてきた名前~」と、今なら言えるのではないかと思います。
“生きる”という意味が私にとって大切だったからです。なぜなら私の身内は、祖母、母の弟、母の従姉妹が自殺、そのうえ祖父、弟は事故死で亡くなりました。
残された遺族が背負う、どうしようもない「辛さ・寂しさ」から解消出来ずに過ごしてきた毎日を、どう超えて行ったのか?という体験を自分のためだけではなく、 身内の方を失ったご家族のためにも表現したいと思います。
死への願望が消えない
私は、弟(長男)と比較して、「次女である私はいらない子!」と強く思ったことを覚えています。
事故死した弟。「長男である大事な弟が死ぬよりも、私が代わりに死ねばよかった!」と、私の心の奥底に、生きていることへの罪悪感がずっとずっと残っていました。(これはあくまで無意識でしたが…)
子どもの頃に、私は友達に、 「早く死にたい!10代で死にたい!」と言ったことがありました。
すると友達に 「なぜそんなこと言うの?」と問われましたが、自分ではよくわかりませんでした。
家族団欒がない家庭
当時を振り返ってみると、私は父が大嫌いでした。なぜなら、我が儘に見えたし、家にたくさんの人達を呼んで麻雀をしたりするなど、私にとっては、“遊び惚ける父”にしか見えていなかったからです。逆に、そのお世話をする母の姿を見て、とてもしんどそうだなぁと思っていました。私は、家族の団欒があまりなかったように感じていまた。
その後、私は、書籍を通してミロスを知りました。そしてDVDを視聴したり、セミナー、そしてワンデイコース、MWMコースまで受講しました。
こうしてカリキュラムを受講するにつれて、私の記憶が変わりました。
両親の心の痛みを理解
私は、当時の両親の気持ちを理解してみたのです。
私の両親にとって、子供を事故で亡くしたことは、あまりにも辛すぎてどうしていいかわからなかった…。だから一生懸命働くか、忙しくして、亡くなった子供のことを考えないようにしていたのでは?
考えてみたら、ずっと父は家にいて、誰よりも私にとっては良き理解者であり、どんな時も怒らずに見守ってくれていました。
働き詰めで働いてきたのは
私は3人の子供を産み、末子が1歳の時に離婚をしました。その後は、保育所に37年働き詰めで働きました。離婚により自分1人ではなかなか子供を育てることができず、両親に世話になりながら子育てをすることができました。
私たち家族は今まで本当に自分自身を忙しくさせて 辛いことを考えないように閉じ、見ないようにしていたんだなと思います。そうでなければ生きることが苦しかったから。
考えてみると、誰か1人でも絶対に悲しませてはいけないと思い、特に母に対しては「心配をかけてはいけない。悲しませてはいけない。母のために何が何でも死ぬことはできない!」と感じていました。そして これが生きる“原動力”でした。
罪悪感:“生きたくない”という思いの根元
そのかすかな思いで自殺をせずに済んだ一方、子どもの頃から、ずっとずっと持ち続けていた「生きたくない」という思いがありました。
その思いは、一体どこからきているのか?をミロスシステムを通して紐解いていきました。
すると、その思いは、弟が亡くなった時に感じた「私が代わりに死ねばよかった!」という罪悪感だったのです。それが、その後ずっと私を苦しめていた…。まさかの驚きでした。
テーマを超える
「だから、生子(生きる子)。この名前なんだ。私はこの名前をわざわざ選んで生まれてきたんだ」と思いました。
そして私がミロスシステムに出会ったのは、自分の人生を振り返り、生い立ちを紐解き、なぜ、死に向かう思考を持っていたのかを理解して、そのテーマを超えるためだったとはっきりとわかります。
先祖の誰もが、「なぜ身内に死が多いのか、そんなことが起こってしまうのか」を、きっと知りたかったと思います。
私は今、自分の存在を立ち上げて「生きていくことが出来る!」と実感しています。死にたいという思いを持っていた私が、それを超えて、“生きる”という意味を受け取れたことで、自分たちの家系で続いた、負の連鎖を終わらせることができました。
新次元の思考テクノロジーを実践し、テーマを超える。そうすることで、自殺もなくなり世界が救われると確信しています。