無能さ故に一生懸命に頑張ってきたけれど、その無能さに気づいたら、なんと!無能だと思っていた夫が経営者としての手腕を発揮、保育園を運営することに!!
Kさん 50代 女性【大阪府】
無能な自分を隠したい
柳沢かおり講師のLifeコースを受講しました。
今回のLifeコースでは、エゴを完全に見破っていくために、自分の日々の言動や心の動きをじっくり観察するところから始まりました。怒りや恐怖、感情が動く時、そのベースには「無能さを隠したい」という思いが常にありました。
何かを失敗しそうな時、如何に自分を正当化するかしか考えていなかったり、家族に対しても、話を聞きながら、自分が有能に見える為には、どんなアドバイスをすればいいか、思考はフル回転で探し始めます。
なんと、私は、朝起きて、他者が目の前に現われた瞬間に「自分の無能さを隠し、如何に有能に見せるか」しか考えていなかったのです。
そうやって自分の心の動きを注意深く見てみると、何故そんなにも無能さを嫌ったのかと思える出来事があった事を思い出しました。
強い劣等感を味わった過去
それは小学校6年生の時の事です。中学受験の為、私は母の見つけてきた塾に通うことになりました。その塾は、座る位置が成績順で、前方は成績優秀な生徒が座り、私はいつも後方でした。前方と後方に座る生徒とでは全く扱いが違い、成績の悪い生徒は講師からクズ呼ばわりされ、私は強烈な屈辱と劣等感を味わった記憶が蘇ってきたのです。
その後、母の勧めに従い、美大の付属中学に合格した私は、初めての美術の授業で、水彩画を描いた時、自分と周りの友人たちとのレベルの差に衝撃を受けました。周りを何度も見回しても、誰一人私より下手な人はいませんでした。私は特に美術が得意だった訳でもなく、美大の付属の学校でも、中には私と同じように大して美術が得意でない人もいるだろうと高をくくっていましたが、みんなの志が私とはあまりにも違っていました。
どんなに頑張って努力しても絶対に敵わない。ここでもまた劣等感を味わいました。その時、私は、頑張って何かを勝ち取る!という土俵から降りたのだと思います。
無能を感じないために
『戦わなければ負けることもない』もう二度と自分の無能さを感じない為に・・・
その後も、短大までエスカレーター式に上がり、仕事も紹介や、派遣から社員になるなど、何となくそこそこ上手くいく人生で、目標をもったり、努力して何かを勝ち取った記憶がありません。
そんな私も結婚をして、とうとう最も恐れていた「無能さ」をとことん感じる体験がやってきました。それが子育てでした。子育てでは、何一つ思い通りにいかない体験をしました。それからというもの、様々な勉強や資格を取得し何とか価値ある自分になろうとしましたが、やればやる程何も成し遂げられない自分に惨めになるばかりでした。
できない自分を受け入れる
そして、ミロスに出会い面白いように自分の人生が紐解けていきましたが、まだ「無能な自分」に完全に同化していました。
それを4週目のLifeコース最終日の空間に出し、終了後にアンケート用紙を目の前にして愕然としました。何一つ書く言葉が見つからない!こんな経験初めてでした。いつもなら、思考は焦り、取り繕い、何とか辻褄合わせの様に記入する所ですが、私の口から出てきたのは、
「一言も書けない…」でした。
柳沢講師に「そのままを書いてみたら」とアドバイスをもらいハッ!としました。今まで一度も本当の感想など書いた事がなかった!!いつもいつも思考で、如何に有能に見えるかを考え、感想を書いていた事に気付いたのです。
空間で初めて「無能さ」を受け入れた時、「無能さ」を嫌い、有能なふりをする必要が無くなったのでした。自信を失い、恐怖に怯え、それを隠すために正当化しかしてこなかった私は、正当化する自分を見破られるようになり、正当化する必要がなくなりました。
“無能”だった夫が変わった
ミロスに出合う以前、主人は何度も転職を繰り返し、その度に私は自分の忌み嫌う無能な姿を主人に映し出しては、抑えきれない怒りを感じていました。しかしミロスに触れ続けていくと、主人は面白いように変容する姿を見せ続けてくれるのです。
そして、主人は中学時代の友人と、それぞれの仕事と平行しながら、保育園の運営を始めました。お互い全く畑の違う業種で、保育園に関してはゼロからのスタートです。行政、設計士、建築会社との間で、何度も難問が浮上し、頓挫しそうになりながらも、決して諦めず常に的確な指示を出し、着実に前進する主人の姿は「無能さ」とはかけ離れた、可能性に満ちあふれた姿だったのです。
さらに、保育園は、子ども達、保護者、就労者、地域の方々にとっての快適性を最優先に考え、地域の老人や核家族化する世帯との交流などの構想も織り込まれ、愛も経済も循環する全く新しい新次元の保育園として4月に開園します!!